社会福祉法人 長茂会
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| Q&A |
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創立者 世古茂 逝去のおしらせ
2004年1月24日、創立者 世古 茂が逝去いたしました。
生前のご厚誼を感謝申し上げます。
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| 2004年1月6日 新年会での夫妻 |
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| 会長の執務机 |
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会長室から望む尾鷲湾
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長寿園の世古茂氏 急逝
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一代で老人福祉王国を築く
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社会福祉法人尾鷲長寿園 会長・世古 茂 氏が24日午前6時51分、入院先の尾鷲総合病院で急逝された。22日に持病の喘息をこじらせて急遽入院、小康を保っていたが24日未明、体調が急変したという。
氏は十年来、肝臓病に苦しみ、医師の勧めで一昨年末、中国天津市の病院で生体肝移植の手術を受けた。手術は成功し、帰国後定期検診を受けながら職場に復帰していた。「中国の寛大な制度とすぐれた医術で生体肝移植により絶望的な命を救われた」として、昨年2月“感謝の心”を綴る手記を本紙に寄せ、中日新聞でも大きく報道された。日本では七十歳の移植は皆無、世界的にも十例に満たない快挙だったからである。
氏は昭和7年11月1日生まれの71歳。須賀利小学校、矢浜小学校、尾鷲小学校で教鞭をとった。
その後、職を転向して中村町の尾鷲小学校前に文房具店「橘商会」を興し、昭和51年8月には社会福祉法人『尾鷲長寿園』を設立、翌年6月『軽費老人ホーム尾鷲長寿園(定員50名)』開所を振出しに、昭和63年4月『特別養護老人ホームスバル台修路(同50名)』、『ショートステイスバル台修路(同5名)』、平成元年2月『尾鷲長寿園診療所』、平成3年4月『スバル台デイサービスセンター』、平成7年4月『ケアハウスきらら」、同年4月『在宅介護支援センター尾鷲長寿園』、平成8年12月『軽費老人ホーム尾鷲長寿園再建(同年1月焼失)』、平成9年3月『特別養護老人ホームスバル台修路』及び『ショートステイスバル台修路増築(定員80名及び20名)」、平成11年4月『デイサービスセンターひまわり(中井町・百五銀行跡)』、平成14年8月『グループホーム長寿園(上野町・草刈病院跡)』を次々と立ち上げ、現在は水地に『ショートステイ「サンライフ」(定員21名)』と『グループホーム「わらべ」(同18名)』を建設中と全国屈指の高齢者福祉施設王国を築き上げ、その先見の明は“昭和の怪物”と評された。
葬儀は長男 祐臣氏の喪主により26日通夜、27日告別式を念仏寺にて執り行う予定となっている。
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「不連続線」
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もう30年来の付き合いであった。「これからは福祉社会の時代」といち早く老人福祉に着目し、昭和51年に社会福祉法人を立ち上げ、老人ホームの建設に取りかかった。当初は親父が理事を務めていたが少しして交代した。「そんなものできるものか」と世間の嘲笑を浴びながらも政治力を駆使して日本船舶振興会の支援を取りつけ、法人設立から一年後に施設第1号の軽費老人ホーム尾鷲長寿園を開所した。
順調な運営に自信を強め特養、デイサービス、ケアハウスと次々に手を広げ、名実ともに県下一の殿堂を築き上げた。成功へのやっかみもあって蔭口を叩く人も少なくなかったが、まさに信念と情熱の人でこうと決めたらまっしぐら、一直線に突っ走った稀に見る商才で一代で豪商にのし上がったわけで、この競争社会で遠慮していては生き残れず、がむしゃらが敵を作ったり恨みを買うこともある。成功者とはそんなもので、常に孤独である。
だが故人は曲ったことが嫌いで筋の通らぬことには決して妥協しなかった。その反面で義理堅く、情にもろい一面もあった。去る者は追わず、来る者は拒まずで、慕って来る者にはとことん面倒をみた。気遣いも細かく、役員旅行ともなると気前良く財布をはたき、みんなをもてなした。長身でいかめしい面相から職員には怖がられたが、行き届いた気配りで「本当はやさしい人」との評価を得ていた。
70歳にして生体肝移植の成功は万に一つの命拾いだったが、その喜びは長くは続かなかった。一時は血色良く完治を信じさせていたのに。無念さは十分に察せられる。有終の美となる筈だった「サンライフ」と「わらべ」の完成を目前にした無念の死となった。もう数年も前から酒とタバコを断ち、十二分に摂生していたのに、摂生や気力も寿命に勝てないことを証明した。
一昨年の新年会で「鬼の茂から仏の茂になります」と宣言。仏になったことであの世から早いお呼びが来たのかもしれない。
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